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執筆者の写真kumada rie

「私たちが求めているのは、薬でもゲームでもなかった」~表面的な対策では解決できない、依存症の本当の理由

いつもは自助グループやトラウマケアに関することを書いているブログですが、今日は思い付くままに書きます。もしも言葉が強く感じられたり、不快に思われた場合は、ページを離れてくださいね。


最近、若者の市販薬のOD(過量摂取)が話題になることが多いです。そのたびに、販売や購入に規制をかける動きや、啓発ポスターが目に入ります。しかし、それを見聞きすると「規制しても、他のものに依存するだけじゃないかな」と思ってしまいます。依存したい人からすれば、市販薬に依存できないなら、他に依存すればいいだけなのですから。


そう言えるのは、私自身がそうだったからです。私の最初の依存は食べ物でした。過食から始まり、過食嘔吐へ。食べ吐きをしている間だけは、苦しみが消えたように感じていました。しかし、もちろん人前ではできませんし、周囲に気づかれたくないという思いから、自傷行為に走りました。私は自分を叩いたり、カッティングしたりして、自らに痛みを与えていました。


悲しむ女性

他には、買い物依存や処方薬への依存もありました。買い物をしていると一瞬だけ自分が認められた気がして、心が満たされる感覚がありました。続かなければ別のものに依存対象を移すだけです。恋愛やスマホゲームへの依存した時期もあります。依存はまるで、次から次へと湧いてくる”もぐらたたき”のようでした。


 このように、依存先はいくらでも変えられるので、どれだけ依存対象を規制されても、「体に悪いからダメ」と言われても、効果はないのです。


 依存する私たちが本当にほしいのは、市販薬でも食べ物でもゲームのキャラでもないのですから。


 本当に欲しいものは何か。それは人によって違います。私の場合、親から愛されること、無条件に「いてもいい」と言ってもらえる安心できる居場所やつながり。信頼できる人間関係だったと思います(実際に、自助グループにつながって安心して話せる仲間や居場所を得たことで、私は回復に向かいました)。


 でも、その本当に欲しいものが与えられないから、それよりは手軽に手に入りそうなものに依存したり、執着したりすることをやめられないのです。


 だから、市販薬ODへの対策として規制だけで済まそうとするのではなく、「なぜ依存したくなるのか?」を考えてほしいです。根本的な問題に向き合うことは大人にとっても難しく、時に自分の未解決の課題や痛みに触れることになるので、避けたい気持ちもわかります。しかし、この問題は決して「若者の問題」ではないと私は考えています。若者の背景には、関わる大人たちの影響もあるはずだからです。


私自身、「あなたの抱える大変さを本当にはわかることができないかもしれないけれど、一緒に考えることならできるかもしれない」と思いながら接しています。うまくいかないこともありますが、それでも向き合う姿勢を持ち続けたいと思います。


少しずつでも、若者の抱える問題を「自分ごと」として捉えられる大人が増えたら、社会は変わっていくかもしれません。私もまだ道の途中ですが、私が助けてもらった分を少しでも誰かに返せたら、と思いながら活動を続けています。





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