前回のブログで、私が新興宗教にハマってしまった背景には、幼少期からの暴力が与えた影響もありました。その影響の一つについて、お伝えしたいと思います。
暴力は被害者の心身を危機に晒します。被害者にとって加害者は、命にかかわるほどの恐怖を与えてくる人です。そのため、その人のことを24時間365日考え続けることになります。「こうしたら怒られないかな、どの行動が正解だろう…」と、頭の中では延々と加害者の行動をシミュレーションします。そうしているうちに、加害者が被害者にとっての生きる基準のようになっていきます。これは暴力から身を守ろうとする自然な反応であり、誰にでも起こり得ることとされています。

そのような状態の被害者を、加害者から急に引き離すと、どうしていいか分からなくなってしまいます。自分の行動基準となっていた人が突然いなくなることで、強い不安と恐怖を感じ、かえって加害者の元に戻りたくなることがあります。
また、被害者の多くが加害者に対して「好き」⇔「嫌い」「一緒にいたい」⇔「離れたい」という相反する感情を持っています。そのため、離れても心が大きく揺れ、戻りたい気持ちが強くなることがあります。「被害者が加害者との関係を清算するために、数度は彼の元に戻ると言われています」(『ドメスティック・バイオレンス』森田ゆり著より)
これは被害者が加害者に依存しているとか、心が弱いなどということではなく、暴力の影響でそういう考え方、感じ方にさせられてしまっているということです。
私も親の行動が私の行動基準でした。親を怒らせない、不機嫌にさせない、言いたいことを察して動く。自分の意思ではなく、親の顔色や行動が私の基準だったのです。大学に入学して一人暮らしを始めた時、自由なはずなのに何もできなくなりました。今ご飯を食べていいのか、外に出かけていいのかも分からない。引っ越してしばらくは怖くて動けず、親の元に戻りたいと強く思っていました。
私が宗教にはまったのは、その教えが親との関係に似ていたからだと思います。「これを信じなさい。これさえやっていれば大丈夫」という思考停止させる態度が、親と重なっていました。親と離れて不安定だった私の心に、宗教は親といた時の「普通」の感覚を与えてくれました。親といても安心も安全も感じていなかったのに、長年その状況が「普通」になっていたため、同じような関係性に安心を覚えてしまったのです。実に皮肉だと思います。
その後も、暴力をふるう男性と付き合ったり別れたりを繰り返したこともありました。私の周りで加害者の元に戻ってしまう女性がいた時は「せっかく別れたのに、なんで」と思ったりもしましたが、自分のことを思うと「戻る気持ちも分かるなあ」と思ってしまいます。
森田ゆりさんの著書のこの一文は、非常に深い示唆を与えてくれます。
援助の成功・不成功は、加害者のもとを去ったか否かではかるのではなく、被害者が自分の感情と行動に対しての自己コントロールを回復しているかどうか、自分の選択に自信を持てるようになったかどうか、暴力被害を受けない人生設計への希望に向かって歩き出す自信を得たかどうか、孤立から抜け出せているかどうかによって測定されるべきです。
この視点は、DV被害者の回復だけでなく、様々な対人支援に通じる重要な指針だと感じています。自助グループはこの回復をサポートする場として、著書の中でも触れられています。改めて、地道な運営を続けていこうと思います。

【参考文献等】
「ドメスティック・バイオレンス~愛が暴力に変わるとき」森田ゆり著、小学館文庫
NPO法人レジリエンス「こころのcare講座」ファシリテーター養成研修資料
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