月刊「文藝春秋」に不妊治療に関する記事を書くため、患者さん、医療者、政治家などに取材し、興味深い話をたくさん聞きました。しかし、本編に掲載される彼らのセリフは、誌面の都合上、ほんの少し。もったいないので、全文をこちらにアップしていきます。最初は、不妊治療専門の桜井明弘医師(産婦人科クリニックさくら院長・横浜市、写真)。増える高齢出産の現状と女性の性意識について聞きました。
――NHKの「産みたいのに産めない~卵子老化の真実」報道後、「私も産めないのでは」と、AMH検査(アンチミューラリアン・ホルモン測定検査:このホルモンを測定することで現在の卵巣の機能を測る)を受ける女性が増えていると聞きます。先生のクリニックもそうですか?
はい、増えてきていますね。
■増える高齢の不妊治療 ――どういう気持ちで、検査を受けに来るのでしょうか。 卵巣の状態が年齢相当か、老いていないかを見たいと言って来られます。検査結果を見て、安心する方もいれば、驚愕してしまって「どうしよう」と言われる方もいます。 ――AMH検査を受けて、結果が年齢より上だったとしても、改善する方法があるわけではないのですよね? いくつか値をよくできるかもしれない方法もありますが、確たるものはありません。老化は、止められないものですから。 僕ら産婦人科医はもう10年ぐらい前から、今の女性たちの傾向は危ないと思って、色々な啓蒙活動をしてきました。ただ、僕らの力はあまり強くなく、目の前にいる患者さんにはあまり強いことを言えないので、NHKが取り上げてくれたのはありがたいです。以前の不妊治療は、例えば卵管の異常で妊娠しにくいとか、排卵しない病気だとか、夫の精子が少ないなどの男性不妊、それらが主でした。しかし今は、卵巣機能の老化によって妊娠しない患者さん達の“闘い”が半分、という状況です。中には、あと5年や10年早ければ治療は簡単で済んだか、治療せずに妊娠できた可能性のある人もいます。
■AMH検査、有意義な使い方とは? ――「もう少し早く来てくれていたら」と思うけど、その年齢の頃、女性たちはこの事実を知らなかったと。 なんといっても、女性の社会進出が進んだことです。結婚して子どもを作るタイミングを逸している女性があまりにも多い。仕事もひと段落して子どもを作ろうかと思ったら、もう40歳を過ぎていた、という方が多いんですね。AMHを図る目的は、結果によって何ができるかではなくて、「自分の人生設計をどう変更しようか、考えられる」ことなんです。僕らは、30歳になったら一度AMH検査を受けた方がいいと思っています。32歳で卵巣年齢が30代後半とか、40代の機能しかない方も、残念ながらおられます。個人差、誤差もありますが、卵巣機能が良い人は、誤差があったとしてもすごく悪い数値が出ることはありません。結果によって、仕事の昇進や転職を考えるのか、子どもを優先するのか、人生設計を考えられます。「妊娠したいかも…、どうかな…」ぐらいの時期に来てもらうと良いでしょう。僕たちも、例えば今年なら風疹が流行っているから、妊娠に備えたワクチン接種時期のアドバイスなどもできます。 ちょっと話は変わりますが、熊田さんは不妊治療には詳しいですか? ――一般的な知識という程度ですが。 通常はタイミング法から始まり、人工授精、体外受精と、状態に合わせて進みます。体外受精は高度生殖医療とも言われる治療の切り札ですが、他に比べて飛躍的に肉体的、経済的負担が高まります。一般的にはその順番ですが、例えば40歳近くの卵巣機能しか残っていないのに、のんびりタイミング法からやっていたら、卵子の老化が進みます。その前に切り札となる体外受精を提案することがあります。誤解しないでいただきたいのは、年齢が高いから体外受精でないといけないわけではありません。体外受精では、取り出された、状態の良い卵子と精子によって行われます。卵管の詰まりなど治療を要する病気や、多くの精子に問題があったとしても、障害にならないのです。不妊の原因が分からない方には、ベストな状態で妊娠に持っていけます。これが体外受精を急ぐ理由です。AMH検査の値の良い人と悪い人では、体外受精をするにしても治療法が異なりますから、治療方針の決定にも役立つわけです。 ――なるほど。AMH検査の値が悪ければ、最初から体外受精を行う方が、効率は良いと。検査で、その方針を決められるようになるわけですね。 卵巣機能の良い人は、自然に採卵しても、排卵誘発剤を使っても、どんな方法でも良い卵子が取れます。体外受精時に卵子を凍結保存したり、溶かして子宮に戻したりしても、耐えられます。しかし、卵巣の予備機能の少ない人は、刺激を加えることでかえって悪くなる場合もあります。慎重に検討して、一番良いと思われる方法をやっていかねばなりません。そのためにも、AMH検査は必要なのです。
■凍結する卵子の量は? ――では、若い頃に卵子を凍結しておけばいいのですか? 凍結保存の技術は難しく、1、2個では解凍時に壊れてしまうと聞きますが。 かつては100個保存しても、1個ぐらいしか使える状態にならないと言われていました。ただ、今はもっと技術が進歩しています。凍結した卵を溶かし、受精させて成功する確率は3~4割ぐらいです。凍結保護剤の技術の改良で、もう少し良いかもしれません。 ――卵子は100個ぐらい凍結しておかないといけないのでしょうか? そんなにたくさんの卵子を凍結しておくのは難しいです。一回の体外受精で、20代なら10~20個取れるかもしれませんが、30~40歳近くになると、2,3個しか採れなくなります。僕は、20代の卵が20個ぐらいあれば十分だと思います。しかし、その方法を日本産科婦人科学会が認めていないのです。 ■凍結できるのは限られた人のみ ――え、そうなんですか? 学会は、高度生殖医療は他の治療法のない戸籍上の夫婦に限る、と決めています。「私の卵を取っておきたい」という理由だけで、高度生殖医療の技術を振りかざしてはいけないということです。採卵は針を刺しますから、出血や、子宮に近い腸を傷付けるなどリスクが高いです。将来普通に妊娠する可能性のある人にまで行う必要はない、ということです。戸籍上の夫婦に限るのは、独身女性ではトラブル発生時の責任を一人では負いきれないからです。ただ、これも古い取決めなので、今の状況に合わせて変えた方がいいのかもしれないとは思います。現実的にできないとは言いませんが、問題に発展してしまう可能性があります。もしやっている産婦人科があっても、公には言わないでしょうし、限定された人にしか行われないと思います。 ――簡単に卵子の凍結とは言っても、色々問題があるんですね。 文化的なこともあります。僕ら産婦人科医は、卵子凍結は良いと思います。でも一般の日本人男性は、「私は卵を取ってあります」という女性についてどんな風に感じるでしょうか。「なんでそんなことしているの?」と思うかもしれません。女性に比べて、生殖の知識の乏しい男性は少なくありません。不妊カップルが来ても、女性がとても深刻にとらえているのに、男性はのんきだったりして、全く違うんです。男性不妊の場合は違ったりもしますが。ただ、アメリカでは若い頃の卵子を凍結保存していることがエチケットとされている、という話も聞いたりします。キャリアを積んでいて、出会う機会の少ない女性はそれぐらいしているのが当たり前になりつつある、と言っていますね。
(つづく)
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