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親が「子どものために」「愛情だから」。子どももそう捉えるかは別問題

執筆者の写真: kumada riekumada rie

 私は昨年、義父と離縁調停しました。それが、自殺未遂を起こした私が自分自身を保つための最善の策だと、夫や支援者と話し合った末の決断でした。


■「親不孝」と一番思ってるのは子ども自身

 とはいえ、世間もそう思ってくれるとは限りません。むしろ、「親不孝」「お父さんがかわいそう」「そこまでしなくてもいいのに酷い」と批判されることの方が多いです。私のことを何も知らないし、私に対して何か責任を負える立場でもないのに勝手なことを言うな、と思います。

 誰よりも、私が一番そう思ってきたんですよ。小さい頃から40代になる今まで、「こんなことを思ったら親不孝の悪い子どもだ」「こんなことを考えたらお父さんお母さんが悲しんでしまう」「私はちゃんと育ててもらった」…。だから、私が悪いんだ、こんな風に感じる私が悪いんだ、私がダメなんだ…。24時間365日、自己否定のループです。どこにもやり場のない苦しさをなんとかしたくて、リストカット、OD、過食嘔吐に走ってたわけです。

 子どもは、親が大好きです。そして親に愛されたい、笑ってほしい。だから、「親を責める」という段階には簡単には移りません。その前に、「自分が悪いんじゃないか」「自分がダメだから自分を変えよう」「嫌がられる行動はやめよう」と、とにかく親からの愛情を得るために、親が思う以上にありとあらゆることを試しています。それも無意識のところで。

 だから、親不孝だの、お父さんがかわいそうなんてことは、他人に言われる前に子どもが一番分かってます。親のせいじゃなくて自分が悪いんだって思って自分を傷付けてしまうほどに、分かってるわけです。だから苦しいのに、何も知らないくせに追い打ちかけてくるな、と思います。


■「親のせい」→「自分のことは自分で癒す」という段階

 心の傷を回復する過程では、一度「悪いのは自分ではない。親のせいだ」と、一時期は親のせいにしてしまう段階もあります。親のせいにして、親の責任にして楽になろうとする被害者的態度をとる段階です。でもそこには、まだ親に対する思いが残っています。甘えも残ってますが、「親と子」の関係性の中で責任の所在を捉えているので、まだなんとか修復しようのある時期だと思います。

 そしてここを超えると、「悪いのは自分のせいではない。親のせいでもない」という段階に来ます。ただただひたすらに、自分の抱えている傷を自分で癒していく過程です。支援者や自助グループの力などを借りながら、自分のことに自分で責任を持てるようになり、自分で自分を癒していきます。親のことについては「こういう親だったんだ、仕方なかったんだ」と、現実を受け入れていきます。親の行為を認めるわけでも、許すわけでもありません。ただもう、淡々と「こういう親だった」と捉えていくだけで、それ以上でも以下でもありません。悲しみも憎しみも、どこか遠くにいってしまったような感じです。

 この段階にくると、親の行動が今の自分に悪影響を及ぼしているなら、現実的に対処しようと考えられるようになります。距離を置く、連絡を最小限にするなど。それが私の場合は、離縁調停でした。


■親の思いが通じるとは限らない

 家庭裁判所もきつかったです。どれほど私が危機的な状況に追い込まれているかが調停員に通じなくて、調停の場でフラッシュバックを起こして倒れたほどでした。

 父は調停員に「私への愛情と思っていた、私のためにと思っていた」と話したそうです。そうだと思います。父は父なりに、私を大切に思っていてくれていました。一家の大黒柱として、父のやり方で私を守ってくれていました。知っています。十分に、十分に。そんなお父さんのことが、私は大好きだから。だから苦しいんです、私は。父が私を愛しているためにしてくれたことが、私には苦しくて、傷付きました。二人の思い(正確には母と3人の思い)が、完全に行き違っていました。不幸だったと思います。父が私のためにと思って一生懸命やったことが、私の私に対する自己否定につながってしまいました。結果的に私は何度も自殺企図に追い込まれ、生きづらくてたくさんの依存症を起こしました。


 父は「親の気持ちがいつかお前にも分かる」というようなことを言っていたと思います。分かったかもしれないけど、「お父さんは正しかった」とは思っていません。だってそれが本当に私にとって正しかったなら、私は自分で自分を傷付けるようなことはしなかったと思うから。

 親が、「子どものため」「今は分かってもらえないけど、いつか親のありがたさが分かるだろう」なんて思ってやっていることがあるとしたら、そうはならないこともあると知ってもらいたいです。むしろ子どものためにと思ってすることが、子どもを傷付けていることがあるかもしれないことも、知ってほしいです。

 そして子どもを傷付けていたとしても、子どもはその傷を親の前では必死で隠し、親に愛されるために命がけでありとあらゆることをしているということも、知ってもらいたいです。

 私のような不幸の連鎖は断ち切りたいと、心から思っています。親が子どもを大切に思う心、子どもが親を大切に思う心、その二つが穏やかに心地よくつながり合う形をつくっていきたいと、心の底から思っています。


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