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「行動の否定」と「人格の否定」を分ける方法-自分を責めるのをやめたいあなたへ

  • 執筆者の写真: kumada rie
    kumada rie
  • 3 日前
  • 読了時間: 7分

今回は、「行動の否定」と「人格の否定」を分けることの大切さについて、考えていきたいと思います。

つらい経験をされた方の中には、「自分が悪いんだ」「私がダメな人間だからだ」と、ご自身を責めてしまっている方が少なくないと感じます。私もそうです。

でも、それは決して私たちの心が弱いからではありません。暴力や支配的な関係性の中で、そう思わされてしまったという側面もあるのです。

トラウマケアのプロセスの過程で、この二つを分けて考えることは、私たちのこころをこれ以上傷つけず、自分の尊厳を取り戻していくために、とても大切なスキルになります。


「行動」と「人格」、その違いとは?

まず、この二つの言葉の違いを確認します。


行動とは 「何をしたか」「何を言ったか」という、具体的な行いのことです。例えば、「約束の時間に遅れてしまった」「頼まれていたことを忘れてしまった」「相手の意見に反対した」といった一つひとつの出来事が「行動」にあたります。行動は、その時々の状況や体調、気持ちによって変わることがあります。


人格とは その人の「存在そのもの」や「価値」のことです。あなたがあなたであること、そのものが「人格」です。それは、誰かから評価されたり、何かをしたりしなかったりすることで、価値が上がったり下がったりするものではありません。道端に咲いている花のように、夜空に輝く星のように、ただそこに在るだけで尊いものです。


この二つは、全く別のものです。「ある行動」が望ましくなかったからといって、私たちの「人格」そのものに価値がないということには、決してなりません。私たちの人格(存在)は、そのままで100%価値があります。


日常の場面での「行動」と「人格」

職場でのミス

  • 行動の否定:「今日の資料作成で計算を間違えてしまった」

  • 人格の否定:「私は計算もできない、何をやってもダメな人間だ」

友人との約束

  • 行動の否定:「約束していた連絡を忘れてしまった」

  • 人格の否定:「約束を忘れるなんて、私は人として信頼できない存在だ」

家族とのやりとり

  • 行動の否定:「あの時、きつい言い方をしてしまったのは悪かった」

  • 人格の否定:「あんな言い方をするなんて、私は思いやりのない、冷たい人間だ」

悩む女性

同じ出来事でも、「行動」に焦点を当てるか、「人格」全体を否定するかで、心への影響は大きく変わります。行動は変えることができますが、人格を否定してしまうと、まるで自分には何の価値もないように感じてしまいます。


なぜ「行動」と「人格」を分けることが大切?


1. 自分を不必要に責めることから守るため

暴力的な関係の中にいると、加害者はしばしば「お前が〇〇するからだ」「お前がダメな人間だから、こうなるんだ」といった言葉を使い、相手に責任を押し付け、支配しようとします。これは精神的暴力(モラルハラスメント)の一つの形です。


このような言葉を繰り返し浴びせられていると、いつの間にか相手の言葉が自分の心の声のようになり、何かあるたびに「自分の行動が悪かった」だけでなく、「自分の存在そのものが悪いのだ(人格の否定)」と思い込んでしまうことがあります。


私自身もそうでした。親から言われた「お前は無能な人間だ」「お前はどうせ何をやってもダメだ」という言葉が染みついてしまって、その言葉が何度も自分の中でループして、最終的に「私は生きている価値のない人間」「私は生まれてこない方がよかった」「人間として欠陥がある」など、自分の存在そのものが間違っていると思い込んでいました。その思い込みは、私の人生の様々な部分に影響し、依存症や自傷行為などを引き起こしました。


しかし、それらの言葉は真実ではなかったと、トラウマケアを学ぶようになって気付きました。


「あの時、あのように言わなければよかったかな」と特定の行動を振り返ることと、「だから私はダメな人間なんだ」と自分の存在全体を否定することは、全く違うのです。まずここに気づくことが大きなスタートになります。そしてこの二つを切り離せるようになることは、加害者から植え付けられた「呪いの言葉」から私たちを解放し、私たちを不必要に傷つけることから守るための、大切な一歩になります。


2. 回復への力を育むため

もし、私たちが「自分はダメな人間だ」と自分の人格そのものを否定してしまうと、どうなるでしょうか。人格は、簡単には変えられない、自分の核となる部分です。そこが「ダメ」だと感じてしまうと、自分には何の可能性もないように感じられ、絶望を感じていくようになると思います。私もずっとそんな状態だったと思います。


行動と人格を分けて考えられるようになってくると、人格否定してくる人に対しては、「これは人格否定だから、あの人とは距離を置こう」と考えられるようになってきます。他人からの指摘に対しても「あの時言われた言葉は、私の行動に対する指摘であって、人格否定ではない」と他人からの指摘に対する受け止めが変わってきます(ここは難しいので、次回もう少し詳しく解説したいと思います)。


また自分の行動についても、「あんなことをするなんて私は最低だ」と人格まで否定してしまうのではなく、「あの時の行動は自分を守るための精一杯の選択だったのかもしれない」「これからは、別の行動を選べるようになりたい」と行動に焦点を当てることができていくと、自身の変化を促しやすくなります。人格は変化しませんが、行動は、学ぶことや意識することで変えていくことができるからです。


練習と時間が必要にはなりますが、行動は変えていくことができます。「これからは自分の気持ちを伝えてみよう」「苦手な人がいたら、その場から離れることを優先しよう」など、未来に向けた新しい選択肢を見つけることができていくと思います。


あなたの人格(存在)は、そのままで100%価値があります。 その揺るぎない土台の上に立って、これからの自分のための「行動」を一つひとつ選んでいくこと。それが、回復への大きな力となります。

大切にする

3. 健全な人間関係を築くため

この考え方は、他の人とのコミュニケーションにおいても非常に重要になります。


例えば、誰かに対して何かを伝えたい時、「あなたは本当に思いやりのない人ね!」と相手の人格を非難するのと、「昨日、あの言葉を言われた時、私はとても悲しかった」と、相手の行動と自分の気持ち(Iメッセージ)を伝えるのとでは、受け止め方が違ってくるのではないでしょうか。


人格を否定されると、人は自分を守るために心を閉ざしたり、反撃したりしがちです。それでは、建設的な話し合いにはなりません。

相手の人格は尊重しつつ、問題となっている具体的な「行動」について話し合う。これは、お互いを尊重し合う対等な関係の基本であり、暴力的な支配関係とは全く違うものです。このスキルを身につけることは、今後私たちが安心して人と関わっていくための、大切な財産になると思います。アサーションもこの考え方がベースにあると思います。


ご自身を大切にするためのヒント

もし、ふと「やっぱり私がダメなんだ…」という考えが浮かんできたら、少し立ち止まって、心の中でこう考えてみるのも一つです。


  • 「これは『人格』のこと? それとも『行動』のこと?」

  • 「私がダメな人間なんじゃない。ただ、『あの時のあの行動』について、今は違う考えを持っているだけ」

  • 「もし、大切な友人が同じことで悩んでいたら、なんて声をかけるだろう? きっと『あなたは何も悪くないよ。つらかったね』って言うはず。その言葉を、今、自分にかけてみよう」

    白いアジサイ

一人で抱え込むのがつらい時は、安心と安全が守られている相談機関や、私たち自助グループの中で話すのも一つの方法です。安全な場所で話を聴いてもらう経験は、絡まってしまった思考の糸を解きほぐす助けになる可能性があります。


私たちは、これまでたくさんのことを乗り越えてきています。どんな経験をしても、私たちの価値が損なわれることは決してありません。


「行動」と「人格」を分けることは、セルフケアの一つです。これからの人生を穏やかに歩んでいくための、大切なスキルになると思います。


一緒に、私たち自身の存在を、これからも大切に、大切にしていければと思っています。自助グループへのご参加もぜひお待ちしています。


※田房永子さんの漫画「喫茶 行動と人格」にも今回の話がいろんなケースを使ってわかりやすく書かれているのでオススメです!

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