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なぜ注意されると自分を否定されたように感じるのか?行動と人格を分ける方法

  • 執筆者の写真: kumada rie
    kumada rie
  • 6月22日
  • 読了時間: 7分

前回は「『行動の否定』と『人格の否定』を分ける方法-自分を責めるのをやめたいあなたへ」という記事で、行動と人格は全く別のものであること、そして私たちの人格(存在)はそのままで100%価値があることをお伝えしました。

 

ただ、「理屈では分かるけど、実際には行動への注意でも自分を否定されたように感じてしまう」という方は多いと思います。実際に私がそうでした。行動に対して指摘されただけなのに、自分を否定されたように感じて、必要以上に自分を責めてしまったりします。


長い間つらい体験を重ねてきた私たちには、この区別はそう簡単なものではないと思っています(というか私はトラウマケアについて勉強するまで、行動否定と人格否定の違いすら知りませんでした…)。今回は、どうして「行動の否定」と「人格の否定」を分けるのが難しいのか、なぜそのように感じてしまうのか、そしてどのように安心できる環境を築いていけばよいのかについて、考えていきたいと思います。


「行動否定」と「人格否定」の違いをおさらいしておきます。

行動否定の例:

  • 「遅刻するのは困る」

  • 「その言い方はきつく聞こえる」

  • 「宿題をやらないのはよくない」

人格否定の例:

  • 「あなたはいつもダメね」

  • 「あなたは思いやりのない人だ」

  • 「あなたは何をやってもうまくいかない」

「行動否定」と「人格否定」とは

行動否定とは「その行動は良くない」と具体的な行為について指摘することです。一方、人格否定とは「あなたはダメな人だ」「あなたは価値のない人間だ」など、その人の存在そのものを否定することです。例えば仕事で計算ミスをして、「この計算ミスはよくなかった」と思うのが行動否定、「こんな計算ミスをする私はダメだ」と思うのが人格否定です。行動否定は「どうして間違えたんだろう。次からミスしないようにこう工夫しよう」と次へのステップを考えやすいです。でも人格否定は自分そのものを否定してしまうので、次へのステップどころか自信がなくなり、落ち込む一方になります。

怒られている絵
人格否定を受け続けていると、行動への注意でも自分を否定されたようでつらくなることも

健全なコミュニケーションでは行動についてのみ話し、人格には触れないのが基本とされています。育児書などでも、子どもへのしつけは「人格否定せず、行動に対して注意すること」と書かれたりしています。


ただ、ずっと人格否定を受けていると、例え行動への注意だったとしても自分を否定されたようでつらくなってしまうことがあります。もしそうだったとしても、どうか自分を責めないでください。それは決して、あなたのこころが弱いからでも、わがままだからでもありません。


心が警戒している時、すべてが脅威に感じられる

「人格否定ではなく行動を否定しましょう」というのは、確かに大切な考え方です。しかし、長い間つらい体験を重ねてくると、この区別はそう簡単にはいかないことが多いです。

過去に批判などによる傷つきを経験すると、私たちの心は常に「次の攻撃」に備えて警戒するようになります。まるで見張り番のように、危険の兆候を敏感に察知しようとするのです。この状態では、たとえ相手が優しい言葉で行動について話していても、私たちの心の奥底では「また攻撃されるのではないか」という不安が湧き上がってきているのです。

これは、私たちの神経系が過去の体験から学んだ「生き残るための反応」なのです。心理学では、このような状態を理解するために、私たちの神経系がどのように安全や危険を感じ取るかを研究したポリヴェーガル理論などが参考になります。

防衛反応

「行動」と「人格」を分けて考えるには、まず安心が必要

大切なのは、批判を建設的に受け止める力は、心が安心できている時にこそ発揮されるということです。

私たちの心が警戒状態にある時は、どんなに丁寧な言葉であっても、脅威として受け取られることが多いです。これは自然な反応であり、私たちに非があるわけではありません。いわば防衛反応のひとつなので、人格否定と行動否定を分けて考えられなくても仕方がない、とも言えます。

反対に、十分な安心感に包まれている時は、「この人は私を大切に思ってくれている」「私の成長を願ってくれている」という信頼の中で、アドバイスや注意を受け止めることができるようになります。

意外とこの部分は忘れられがちだと思います。周囲にいる人は良かれと思ってメッセージを伝えていても、本人にとって安心安全の感覚(信頼関係)が育っていなければ、本人は「攻撃」として受け止めてしまうのです。


安心できる関係を育むために

では、どのようにして安心を感じながら、「人格否定」と「行動否定」を分けて考えられるようになるでしょうか。いくつかのポイントをご紹介します。


●安心できる相手や場所を見つける

まずは私たちが安心と安全を感じられる相手、場所とつながることが第一です。自分で適切な距離を持てると思う友人、家族、支援者、治療者、自助グループなどにつながるのもいいと思います。「ここなら私はありのままでいられる、大丈夫」と思える相手、場とつながります。

もしも今すぐにそのような相手や場所が思い浮かばなくても、焦らなくて大丈夫です。安心できる関係は時間をかけて育むものですし、まずは一人でも安心できる時間や空間を作ることから始めていくといいと思います(これはとっても大切です!)。

カウンセリング

●安心できる相手や場所の中で、少しずつ練習する

信頼できる人や専門家と一緒に、自分から簡単なものを断る練習をしたり、自分に何か改善点を伝えてもらうような場面をロールプレイしてみてもいいかもしれません。ただし、これらの練習は決して一人で無理に行う必要はありません。行動否定と人格否定を分けることが難しい人の場合、人に対して改善点を伝えたり、物事を断ることも苦手な場合があります。そのため、自分が伝えたり、断ったりすることも、「人格を否定しているのではない」という感覚を養ったり、どういう伝え方がより良いかを考える練習になります。

<安心感を生む伝え方のコツ>

改善点を伝えるとき、「あなたのことを大切だと思うから伝えるね」「一緒に考えていきたくて」などの前置きをすると、安心感につながるので一つの方法になるかもしれません。

 また、改善点を伝える前後に肯定的なメッセージを添えることで、批判だけでなく愛情や尊重も一緒に伝わります。心は「攻撃されている」のではなく「大切にされている」と感じることができます(「全体的によくできているよ」→「ここをもう少し変えるといいかもしれない」→「よくできているからもっと良くなると思うよ」というような形)。

<相手を尊重する対話にするために>

その後、「今の話はどう感じた?」「受け取りにくい部分はあった?」と相手の気持ちを確認することで、一方的な指摘ではなく、お互いを思いやる対話にしていく練習にもなります。

「今は受け取れないと言っても大丈夫ですよ」と伝えることで、受け取る側は自分で選択できる人として尊重されていると感じられます。

これらの練習は、安心できる環境で、無理のない範囲で行うことが何より大切です。


●小さな一歩から始める

上記のような練習も、実際やろうとするとなかなか難しいと思います。いきなり大きな変化を求めるのではなく、安心できる相手や場で、小さな、安心できるフィードバックから始めて、徐々に心の許容範囲を広げていくことが大切です。

ハートを抱く

自分のペースで、自分らしく

行動と人格を分けて考えられるようになるのは、一朝一夕にはいきません。心が安心できる環境や関係性が整うまでには時間が必要ですし、感覚を養うには時間がかかります。

焦らず、自分を責めず、まずは安心できる人間関係を築くことから始めてみるのが大切だと思います。そこから少しずつ、自分にとって心地よいペースで成長していけばいいと思います。

つらい経験をしてきた私たちの心は、とても敏感で繊細です。それは弱さではなく、これまで一生懸命に生き抜いてきた証でもあります。

どうかその繊細さを大切にしながら、安心できる環境で、自分のペースで歩んでいっていただければと思っています。

私たちは安心安全の場として自助グループを開催しています。そういう場とつながりたいなと思っておられる方、お問い合わせいただけたら嬉しいです。

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