完璧主義がやめられないのはなぜ?『101個目のリスト』が教えてくれること
- kumada rie
- 7月25日
- 読了時間: 4分
トラウマからの回復の道を歩む仲間たちと、毎月読書会を重ねています。 その読書会で使っている大切な一冊『子どもを生きればおとなになれる~インナーアダルトの育て方』(クラウディア・ブラック著)の中に、私たちの心に深く響く一節がありました。
私自身、この文章を読んだ時、あまりにも自分のことと重なり、胸がぎゅっと痛くなりました。もしかしたら、このブログを読んでくださっている方の中にも、同じように感じられる方がいらっしゃるかもしれないと思い、今日はその文章をご紹介したいと思います。
痛みに対する思考上の反応としてよくあるのが、完全主義です。完全主義は、もし完ぺきに行動していれば誰からも批判されないし、だとしたらこれ以上傷つく理由もなくなるはずという信念によって煽られた考え方です。けれども子ども時代に「どんなにがんばっても、まだ十分ではない」ことを学んでいる場合、完全主義は自己否定感を土台にしています。その結果、自分はこれでよいと感じられるようにして痛みの原因を減らそうとする戦いは限度がなくなり、いつも人よりすぐれているよう、常に一番になるよう邁進し続けることになります。 (中略)
完ぺきさに基準をおくということは、あなたは決してそこに達しないということです。あなたは子ども時代におとなからされてきたことを、心の中で自分に対してやり続けているのです。いくらあなたが努力しようと十分でなく、よくできたと感じる体験をしていないのならば、あなたは「どれぐらいならよいのか」という感覚を身につけていないはずです。 (クラウディア・ブラック著、アスク・ヒューマン・ケア発行『子どもを生きればおとなになれる~インナーアダルトの育て方』より一部引用)
この「限度のない戦い」という言葉に、胸が詰まるような思いがする方も少なくないかもしれません。

DVの世界では、「101個目のリスト」という表現が使われることがあります。加害者は私たちに「100個のリスト」を見せて、「これをすべてやりなさい」と要求します。私たちは必死の思いでその100個をやり遂げ、「これでやっと解放される」と安堵した瞬間、彼らは平然と「101個目のリスト」を突き付けてくるのです。もし私たちが101個目を達成したら、次には102個目が待っています。
彼らの目的は、私たちがリストを達成することではなく、私たちをコントロールし続けることだからです。だから、この要求に終わりはありません。
私自身も、父から次々と「これを達成しろ」という課題を出され続けてきました。それがまるで101個、102個、103個と続くリストのようでした。どんなに必死で応えても、父が私に満足することはありませんでした。今振り返れば、父が求めていたのは、私が父の言いなりであり続けることだったのかもしれません。
その果てしない要求の過程で、私の心の中には「私は何をやっても駄目なんだ」「私はできない人間なんだ」という、自分自身への深い絶望感が刻み込まれていったように思います。

この完璧主義のつらいところは、まさにこの「終わりのなさ」にあるのではないでしょうか。どこまでいっても自分で自分を認めることができず、決して満足することがない、ゴールのないマラソンのように感じられることがあります。
子どもの頃に「私はどこまでやっても不十分なんだ」ということを深く学んでしまったために、私たちの完璧主義は、まるで底がない沼のようにも、どこまでも続く天井のない部屋のようにも感じられることがあります。そして、この「自分は何をやっても駄目だ」という感覚が、大人になってからの仕事や人間関係など、様々な場面で私たちの足かせになってしまうことがあるのかもしれません。
私の場合、いまだに頻繁に完璧主義出てくる傾向があります。なので、その度にいったん深呼吸したりして、「この仕事はどの程度までやればOKか」「相手が私に求めているのはどの程度か」ということを冷静に確認するように気を付けています。
もし、今このブログをご覧くださっている方がこのような完璧主義に深く苦しんでいるとしたら、その土台に何があるのかを、一度静かに見つめてみる時間を持つのも一つの方法かもしれません。
それが、安心できない家庭環境で、誰かに認めてもらうために「正しく」いなければならなかったことや、拒絶される不安を常に抱えていたことなどに由来すると見えてきた時、その苦しみから抜け出すための一歩を踏み出すことができるようになるのかもしれません。

私たちは既にもう、十分に頑張ってきています。子どもの頃には分からなかったけれど、受け入れてもらえなかったのは、決して私たちの価値がなかったからではない。そのことを、今であれば、自分自身に優しく伝えてあげることができるかもしれません。また、それを自分に伝えられるのは周囲の他人ではなく、誰よりも自分であるということも、少しずつ感じられるようになれればと思います。
私たちの自助グループでは、こうした自分を振り返るための読書会やアートワークを行っています。一人で自分を振り返るのはなかなかハードルが高いものです。ぜひ一緒に、安心安全の場で自分を見つめてみませんか。


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